有珠山噴火の跡と、胆振線廃線跡を探訪 – 沖縄に行ってから新千歳!? SFC修行で列島横断の旅:2日目

2024年の旅行記
本サイトはアフィリエイト広告を利用しています。なお本記載は景品表示法改正に伴うASPからの要請に基づく表記であり、依頼された記事などは別途記載を実施しています。

今日は飛行機に乗るのをお休みして北海道で過ごす1日です。車もあるので洞爺湖に巡りつつ、その後はどうしようかなと思いながらも、行ってから考えれば良いなと思って出発。まあいつも通りの感じです。

沖縄に行ってから新千歳!? SFC修行で列島横断の旅:1日目
最終目的地は「北海道」なのに、何故か沖縄へと飛んでいく私。謎の列島横断修行旅です。

鈴木旅館の朝食はシンプルな定食スタイル

朝食は焼きホッケや厚焼き卵、納豆などの定食スタイル。バランスも取れて量もちょうどいい感じでした。ごちそうさまでした。

食後はセイコーマートで買って来た「飲むチョコミント」を飲んでみました。冷やして飲むとアイスのチョコミントのようで美味しい。でもやっぱりアイスの方が美味しいかな……。

そういえば入口にあるこの看板、最後が「館」の崩し文字なんでしょうか。なんか「飯」のようにも見える。

こういう旅館ってみんな朝が早いようで、8時過ぎに出たのに既に出ている人も結構いました。温泉も良かったし、ゆったり過ごせて良い目覚め。お世話になりました。

洞爺湖で有珠山噴火の痕跡を見てきた

今日の目的地は洞爺湖。有珠山の噴火の跡を巡れる「西山山麓火口散策路」へと行ってきます。以前洞爺湖に行ったときに行こうと思ったんだけど、時間が無いのと天気が悪かったこともあって断念したんだよね。

湖畔から洞爺湖を眺めてきた

洞爺湖の湖畔を走りつつ、どこかで写真を撮りたいなと思って寄り道。夏らしいうろこ雲と湖面を一望できました。中央にあるのは「大島」と呼ばれる島で、船で渡っていくこともできるみたい。

湖畔には特定外来生物の「ウチダザリガニ」を生きたまま持出禁止の看板がありました。そう、生きてなければ持っていって良いんです。要は他の場所で広がることを防ぐ意味合いですね。

目の前のセイコーマートでコーヒーでも買おうと思ったら無い店舗だったのでペットボトルのを購入。ペットボトルのってあんまり美味しくない印象だったけど、これ美味しいわ。

西山山麓火口散策路を往復してきた

洞爺湖の温泉街からは少し離れた場所にある西山山麓火口散策路。結構賑わっているのかなと思ったけど、来て見たら全然人も居ませんでした。

散策路に一番近い駐車場は有料だけど、100mも歩けば無料の駐車場がある。どうせこれから歩くんだから、空いてれば無料のに停めておいた方が良いと思います。来た時にも私しかいませんでした。

この散策路は「洞爺湖有珠山ジオパーク」となっていて、各所に案内看板が設置されています。こちらはもともと国道230号線だった場所。現在どうなっているかというと……?

道が隆起したりしていて、とても通れるような状態ではありません。でもここは「まだマシ」なほうで、この先に行くと絶望感しかない光景が広がります。

ちなみにこの道には下水が溜まって池のようになっている場所があります。これも噴火の影響によって生まれたもの。

散策路を進むと道路が隆起している場所にたどり着きます。ここは断層が町道を横切るように出来た場所で、陥没したのではなく高い部分は隆起した場所だそう。自然の力を感じる光景です。

噴火によって3つに折れてしまった電柱が保存されています。でもこれ、標識の位置を考えるとどれだけの深さが埋まっているんだろう。

続いては「町道を横断した火口列」という記載の場所。町道を横断したってどういうことだ?

以前はこの場所に町道が通っていたらしい。完全に山の中にしか見えず、当時の痕跡は路盤や飛び出た水道管などの一部からしかうかがい知れません。そして火口部分は池のようになっていました。

散策路には虫がたくさん居るんだけど、ホバリングしているトンボを発見。都心部では全然見かけることも無いギンヤンマでした。獲物を見つけると猛スピードで飛んでいく姿がかっこいい。

水道管のずれを直すために工事をしていた重機。工事中に噴火が始まったことでそのまま取り残されています。噴火を予測していたと記載がありますが、水道管がズレたのはマグマが上がって来て隆起したから。ってことはいつか噴き出してくる……と。

2000年噴火で一番隆起した場所が「第2展望台」として整備されています。噴火によって75mも隆起したことで、ちょっとした山のようになっています。

展望台からは噴火湾を一望できました。景色は良いのだけど、ここでの生活が壊された結果で生まれた場所と思うと、素直に景色を楽しんで良いものなのかと悩んでしまいます。

噴火によって道路に3つの火口ができた……ってあんまりしっくり来ない。道路から噴火したって言われても想像つかない。最初の噴火の後にも火口が出来て、最初に残っていたアパートが埋もれてしまうようなことも起きたんだとか。

これがその火口の跡。今は草木が生い茂っているけども、中央部分の凹んだ部分が火口でした。

先ほどの火口の先は、ミニチュア地溝帯ができてズタズタに切り刻まれたようになってしまった場所。当時の写真が載っているけども、固い地面が見るも簡単に破壊されている状況でした。

火口の近くでは、崩壊した建物が遺構として保存されていて、大地震が起きた後のような光景です。

折れてしまった電柱。そのまま残されていました。

こちらは住居でしょうか。先ほどよりも崩壊具合は少ないですが、全体的に傾いてしまっているように見えます。

最後にやってきたのは、散策路の南口にある「洞爺湖幼稚園」の跡地です。ここは噴火によって飛んできた噴石が降り注いだ場所で、生々しい痕跡が残されています。

壁の側面に穴が開いているのは、噴石が飛んできて壁を突き破ったから。まるで砲撃を受けたかのような痛々しい姿です。

地面には噴石が落ちているけど、かなりの大きさ。こんなのが降ってきたら命がいくつあっても足りません。

こんな状況を見ると、犠牲者が居たのかと気になってしまう。でも噴火の数日前に避難指示が出ていたことにより周辺の住民は避難を済ませていたようで、不幸中の幸いだったようです。

さて。これで散策路は終了なんだけど、北と南ってことは戻らないとならないんです。もし2人で来てるなら、1人が北から行きつつもう1名が南に回り、途中で車のカギを受け渡して南から北に車を回すってのが一番快適(?)に散策できる方法だったりする。

この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。

最後に、噴火前と噴火後の航空写真を見比べてみました。中央に通る国道230号線と町道が完全に分断されてしまっていることがわかると思います。自然の脅威って怖い。

洞爺湖幼稚園から戻ろうとしたら、当時の町道跡に「高・中速車」と書かれた標識が残っていることに気づきました。40キロのものは何回か見たことがあるけど、50キロのものは初見。あったんですね。

全国に残る記載だけど、徐々に数を減らしているのも事実。もしかしたら最後まで見られるのはここなのかもしれない。

徐々に暑くなってきて、汗だくで北側に戻ってきました。最後に寄ったのは元消防本部だった建物で、現在は一部が資料館として開放されています。

1階部分は水没している他、建物が全体的に傾いている。写真で見てわかるかな。