おはようございます。今日は旅行2日目で、島原半島から西海市を通って佐賀県の玄界灘の方へと向かっていきます。長崎県横断と言えるほどの距離感で、所要時間も結構長め。あんまり焦らないように巡って行ければいいなと思っています。
湯豆腐や出汁巻き卵など、シンプルな朝食
朝食も隣の割烹でいただきます。湯豆腐や焼き鮭、厚焼玉子といった朝食でよく見かける品目が並びます。色々な種類が少しずつ並ぶので、栄養バランスも取れてていい感じ。ごちそうさまでした。
島原鉄道の廃線跡巡りを続行
昨日途中までで終わってしまった廃線跡巡り。残りの区間を午前中に巡ってきたいと思います。でもまだ結構区間があるし、時間が間に合うのかがちょっと心配。
駅舎やホームが残る「布津駅」
布津駅跡。駅前に業者のプレハブ小屋が建っていますが、それ以外は廃止当時のままの駅舎が残されています。
駅の窓口だったのでしょうか。窓らしき部分がベニヤ板で塞がれています。廃止時には既に無人になっていたようだけど、以前は有人駅だったようですね。
2面2線の設備を持っていた布津駅。ホームや待合室の設備はそのまま残されています。線路部分は他の駅と同様に自転車・歩行者専用道路になっているけども、ちまちま途切れているように感じるのが気になる。
何やら保線関連と思われる建物も残っていました。中をのぞいても何もなかったけど。
線路以外はそのまま残っているので、廃止されてバスの駅になったと言ってもわからなさそう。もっと線路跡を有効活用できないものなんでしょうか。
尋常小学校の石碑が残る「堂崎駅」
堂崎駅跡。以前は待合室があったみたいだけど、今では撤去されて残っていません。一方で昔存在した尋常小学校の跡を示す石碑が残されていました。
駅の跡の横には駐輪場だったのでしょうか。寂れた建造物が残されています。
ホームの跡も残っておらず、駅の跡だという痕跡は少なめ。ちょっと残念な廃線跡です。
駅の痕跡が消えている「蒲河駅」
駅へと向かう道が狭すぎたので、近くの駐車できそうなスペースから歩いて到着した蒲河駅。当時は待合室なども設置されていたようだけど、今では痕跡が何も残っていません。
近くを見ていると、街の神社のような建物が階段の上にありました。ひっそりとしていますが、ちゃんと管理されているようできれいに保たれています。
神社の脇には大正14年と書かれた石碑がありました。大師堂ってのが名前なんでしょうか。
駅舎や駅名標も残る「有家駅」
旧有家町の中心部にあった有家駅。現在ではバスの待合室として利用されているようで、駅の名前などがそのまま残されています。
待合室は、少数のベンチの他は駐輪場スペースに。雨が降っている時でも濡れずにおいておくことができます。
ホームも当時のまま残されており、線路跡は自転車・歩行者専用道路として整備。しかしこの駅の先は整備されておらず、ここまでとなっているようです。
ここまでの駅ではホームから撤去されていた駅名標ですが、この駅には残されていました。今でも管理されているからかもしれませんね。
線路跡は草だらけ、廃線跡らしい「西有家駅」
そうめん発祥の地とも言われる西有家にあった西有家駅。駅舎には「そうめんの町」と書かれていて、周囲にはそうめんの直売所などもちらほらありました。
ここまでの駅では線路跡が整備されているのが多かったけども、ここは廃線跡らしく(?)草がぼうぼうで整備されずに放置されています。言い方は良くないかもしれないけど、この方が廃線跡らしくて私は好き。
駅名標も当時のまま残されています。でも下に転がっている木材は何に使われていたものなんでしょうか。
ホームから海が一望できる「龍石駅」
同名のバス停と背中合わせで設置されていた龍石駅。駅舎は無く、こじんまりとした駅となっていました。
ホーム跡は当時のまま残されていますが、線路跡は綺麗に整備されていました。そしてこの駅の特徴が海の近さ。
ホームを背にすると、島原の海と天草を一望することができます。この辺りを列車が走っていた頃は、景色も良かったんだろうなぁ。
駅舎とホームの残る「北有馬駅」
海沿いからは少し離れた場所に線路は移動し、北有馬駅に到着します。ここも駅舎が当時のまま残されていました。
駅舎の中には乗車券発売口などもあり、以前は有人駅として営業していた頃もあるようです。
ホームは2面2線で、線路跡は整備されていました。トイレの設備も有ったようです。
駅の前だけ整備がされている「常光寺前駅」
近くに常光寺があるからという単純な名前だった常光寺前駅。駅のホーム跡も撤去され、線路跡は整備されています。
が、整備されているのは駅前だけ。前後はこんな有様で放置されています。なんかちょっとずつ整備しているような感じで、道半ばって状況のようです。
広くなっているのが唯一の痕跡な「浦田観音駅」
若干前後より広くなっているだけで、ホーム跡も撤去されてしまっている浦田観音駅。以前は右側の建物に沿うようにホームがあったようです。
駅舎は撤去されている「原城駅」
有名な原城の最寄り駅だった原城駅。以前は駅舎があったようですが、今では撤去されてホームだけが残されています。
駅の前には「駅前」と書かれた飲食店の跡も残っていました。いつ頃まで営業していたんでしょうね。
古野公園でトイレ休憩&海を眺める
ちょっとトイレに行きたくなった時に、ちょうどあった公園。海も眺められるようなので小休憩です。
遠くに天草を眺めながらひと息。ちょっと島原からまだ抜けられてないのがヤバいかもしれない。早々に廃線跡巡りを終わらせていかないと。
近くには小学校の跡もある「有馬吉川駅」
1面2線でホームの残る有馬吉川駅。線路跡は整備されており、草木も刈られています。
駅前にある石碑には、駅の設置当時に寄付を行った人たちが記されています。駅が無くなっても記録だけは残ることを考えると、こういう石碑を作っておくのは後世に残すという意味では一番の強力なアイテムです。
そして駅の近くには、何故か小学校の門だけが残されています。この小学校は既に廃校となっているのだけど、看板は南島原市になる前の町名。何で残っているのだろう。
家と家に挟まれた入り口がある「東大屋駅」
島原鉄道の廃線跡は狭い道路にあることが多いんだけど、ここも例にも寄らず狭い道の先にある東大屋駅。3ナンバーの車で来るには擦りそうで怖いよ。以前は駅の名前が右側にあったようだけど、今は撤去されています。
待合室には路線の廃止をお知らせする紙が残されていました。
そして線路跡は草がぼうぼうで放置されています。しかし南島原市による整備が進んでいるので、次期にここもきれいに整備されると思います。
反対側もこんな有様。でも私はこういう景色のが好きなんだけどね。
バスの駐車場となっている「口之津駅」
Googleマップだと駅の反対側に連れてこられたので、地図を見て戻ってきました。ここが駅跡?と思ってしまう光景だけど、ここが口之津駅でした。
駅舎は撤去されていて、ホーム跡もバスの駐車場となっているため、下からしか見ることができません。
駅の先には自転車・歩行者専用道路の工事中の看板がありました。整備されていたのもここ最近だったようで、通りできれいなわけだ。
運行当時の掲示が残る「白浜海水浴場前駅」
近くに白浜海水浴場があるから白浜海水浴場前駅。単純な命名です。駅のホームが残されてます。
海が近いことで劣化が激しいものの、他の駅には無かった運行当時の列車乗車案内などが残されていました。
終点だけど立て看板も無い「加津佐駅」
島原鉄道の終点であった加津佐駅に到着。自転車・歩行者専用道路もここから整備されており、駅跡はホームだけが残されていました。
駅舎部分は既に解体され、基礎部分だけが残されています。おかげで海が一望できるってのも皮肉だけど。
駅跡に設置されていた「ふるさと散歩マップ」だけは駅があった当時を記していて、島原鉄道の線路が記載されています。でもこちら側って今人も全然来ていないので、意味を成しているかも微妙だけど。
しかし道の整備はしても、駅があったことを遺す立て看板などの設置は無くて残念。せっかくならば当時の写真とかを載せた看板でもあれば良かったなと思います。