修繕中の首里城見学と沖縄グルメを堪能 – ソラシドエアで行く沖縄1泊2日の旅:2日目

2024年の旅行記
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おはようございます。深夜には目が覚めるほどの土砂降りが降っていたのだけど、朝になったら雨は上がってました。それは良いとして蒸し暑すぎませんかね……。冬用の服を着ているのだけど、腕をまくっても汗がにじみ出るほどの気候です。

実は6月にも沖縄の予約を取っているのだけど、2月でこれだと6月って……?とちょっと後悔しだしている。さて、今日は那覇市内の観光をしようと思うんですが、那覇市内って首里城くらいしか考えつかない。

米軍基地でアメリカンサイズのステーキを堪能してきた - ソラシドエアで行く沖縄1泊2日の旅:1日目
米軍基地のステーキは美味しかったけど、円安の進行をめちゃくちゃ感じる。

那覇バス1日乗車券を使って首里城方面へ

今日使うのはmyrouteというアプリで買える那覇バスの1日券。660円なのですが、TOYOTA WALLETのキャンペーンを組み合わせると500円キャッシュバックとなるので160円で使うことができます。片道運賃よりも安い。

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使えるエリアも増えて便利になってきている。

沖縄のバスの洗礼を受ける

ホテルから徒歩2分ほどにあるバス停「てんぶす前」でバスを待ちます。乗るのは那覇バスの9系統。均一区間は乗る時にお金を払うらしく、見せるのも乗るときだとか。

バスがやってきたので乗車。他の乗客は居ませんでした。EVバスも走っているようだけど、やってきたのは普通の路線バス。

降りるバス停は……と思っているといつの間にか通り過ぎている。あれ、通ったっけと思いつつも次のバス停で降りて、反対側のバスに乗車して戻ることに。

やってきたバス。これで目的のバス停に戻れる〜と思ったら途中で曲がって違う方向に進行。またも途中のバス停で降りて離脱する羽目に。沖縄在住の人に話した所「沖縄のローカルバスの洗礼を受ける」と反応があり、初見殺しなのかもしれない。皆さんも乗る時は気をつけましょう。

ホントに???

結局バスで戻ることは諦めて歩いて目的地へと向かいます。ホテルから20分で行けるはずが、結局40分くらい掛かってしまいそう。

ホントだ

急な坂道を上り下りしながら進み、途中には階段もあっていい運動に。それにしても2月だというのに夏日のような気温と湿度で、長袖の袖をまくっていても汗が染み出してきます。寒くないのは良いけど暑いだなんて聞いてない。

世界遺産&国宝に指定されている琉球国王の墓「玉陵」

20分ほど歩いて、ようやく目的地である「玉陵(たまうどぅん)」に到着。ここは琉球王国時代に国王のお墓として利用されていた場所で、首里城とは異なり建物が現存していることから「国宝」に指定されています。

大勢の観光客が訪れる首里城に比べると全然人の気配はありませんが、そもそも戦後に再建されて当時の建物ではなかった首里城よりも玉陵のほうが「琉球王国の遺構」そのものだったりします(修繕などがされているので全てが全てではないけども)。

建物を見る前に資料館で情報収集。実際に神事が行われていた戦前の写真などを見ることができます。あまり戦前って写真とかが残ってない印象だけど、こうして多くの写真が残っていることで当時の様子を伺い知れます。

玉陵の断面図。3つの部屋に分かれていて、左側の東室には国王や王妃が、右側の西室には王子や王女が眠っています。中央の中室では洗骨(遺体を棺に保管し、数年後に骨だけとなった遺骨を洗い清めること)を行う前の遺体が安置されていたようです。

各室の中の写真も展示されていました。こうして歴代の王や王妃、王子や王女などの限られた人たちが同じ場所で眠っています。

玉陵に保管されていた蔵骨器の写真が展示されています。各蔵骨器には名前などが書いてあったようで、誰のものなのかがわかるようになっていました。しかし一部は記載がなく、誰のものなのかがわからないものも。

これは琉球王国時代に使われていた土器の欠片。こうして古代のものは今でも残っていても、現世のものって将来的に残るのかなとふと思います。

さて、玉陵に関しての解説をひと通り見たところで実際の建物を見に行きましょう。

展示室より先は有料区間。金額は300円だけど年間パスポートが600円という価格設定は、観光客が年に1回来るか来ないかみたいな場所ではよくある現象。石壁が続いていて城の城跡のような雰囲気です。

通路を過ぎて広場に出ました。左手前には何かあったような跡が残っていますが、何があったのかはわかりません。先にある石碑が気になるので見てみましょう。

風化してしまっていて何が書いてあるかは解読できませんが、これは1501年に作られた玉陵碑(タマウドゥンひ)といい、玉陵に葬られるべき人が記されていたものだとか。

それではさらに中へ。先ほど断面図でみた「東室」「中室」「西室」です。東室だけ扉が白いのは、なにか理由があるのでしょうか。

琉球王国のお墓だった場所ではありますが、こうしてみると何かの要塞のようにも感じます。でも亡くなった人を守る場所と考えると、その感覚もあながち間違いではないのかも。

上を見上げると沖縄の守り神としてよく見かけるシーサー。当時から守り神として信仰されていたようです。

下にはシーサーとともに龍か鳥が石に彫られています。ちょうど今年は辰年だし、龍の彫り物を見られたのは縁起が良いかもしれない。

実際に蔵骨器が収められている部屋の中には行くことはできません。少し残念な気もしますが、お墓の骨壺を置いてある場所を開けて見るような形となってしまうので致し方ないでしょう。

解説文

玉陵の入口左手にある建物は「東の御番所」といいます。ここは法事の折に国王の控所として利用されていたようですが、太平洋戦争直前には倉庫のように使われていたらしい。

現存する建物は当時のものではなく、2003年に復元されたもの。建物内に入ることもでき、木の香りを楽しむことができます。

東の御番所があったなら西の御番所もありました。しかしこちらは遺構などは残っておらず更地に。当時を知る人からあったことは証言されているようですが、発掘調査では発見されなかったようです。

2019年に焼失した首里城と第32号軍司令部壕

本来の目的は玉陵だけだったのだけど、時間が余ったのですぐ近くにある首里城も寄っていくことに。2019年6月に訪れたことがあったのですが、その数か月後に焼失してしまって修繕工事が実施されています。

どこかにマイルで行く沖縄に1泊2日の旅:2日目
どこかにマイル旅行2日目です。全くもってノープランですが飛行機の時間までのんびり散策します。心配だった天気は…降ってない!めっちゃ曇ってましたが雨は全く降ってませんでした。

前回行ったときの旅行記。この時はまさか数か月後に燃えるなんて思ってもおらず、ニュースを見て驚いた記憶があります。ちなみに旅行記を書こうとしだしたのは2019年からなんですよね。こうしてすぐに当時の記録を掘り起こせるのは積み上げてきた価値を感じる。

守礼門(しゅれいもん)と呼ばれる門です。上には「守礼之邦(しゅれいのくに)」と書かれていて「琉球は礼節を重んずる国である」という意味があります。

守礼門を超えると右手が首里城、左手には下り道があり、今回の目的は左側にある旧日本軍の「第32軍司令部壕」という遺構。太平洋戦争時に首里城を拠点とした結果米軍に集中攻撃された過去のある場所です。

1944年3月に南沙諸島の防衛のために作られた第32軍司令部。1945年になると戦況が厳しくなり、地下壕が本部となっていた歴史があります。なお現在は発掘調査が行われているようで、なにか発見されることを期待しましょう。

ここが5つある地下壕の入口の一つ。内部は危険ということで一般の人の立ち入りは禁止されています。こういう戦時中の遺構に関しては、沖縄よりも奄美大島のほうが見ることができる印象がありますね。

柵から中を見るとこのような感じ。暗いし入口近くしか見ることはできませんでした。

修繕工事中の首里城を見てきた

旧日本軍の壕を見てもまだ時間に余裕があったので、修繕工事が実施されている首里城を見に行ってみることに。修繕後は今後も見られますが、修復中の首里城は今しか見ることはできないし。

歓会門(かんかいもん)です。ここは使者を歓迎するという意味合いで名付けられた門で、沖縄戦で焼失して戦後に再建されています。

続いては瑞泉門(ずいせんもん)です。脇に湧き出る水が龍樋(りゅうひ)と呼ばれ、それにちなんだ名前だとか。ここも同様に沖縄戦で焼失し、再建されたのは平成に入ってからのことでした。