以前にチーバくんの鼻の先に行ったという記事を書きましたね。
江戸川と利根川の分岐点!チーバくんの鼻の先端に行ってみた
チーバくんの鼻の先端ってどんなところ?実際に行ってみました
この話を友達としていたら、どういう経緯でなったのかという話になり、確かになぁと思って調べてみました。調べてみたら納得の結果でした。
チーバくんの鼻の先は茨城県
この川と川の境目にあるチーバくんの鼻ですが、地図を見るとこのように完全に茨城県の中なんですよね。
地図で見ると千葉県の端っこだけに茨城県が侵食しているような状況で、何故?となるのも確かにわかります。こういう時は歴史が答えを教えてくれます。
明治以前は違和感のない県境だった
こちらが明治40年の同じ場所の地図です。県境は今とほぼ同じですが、大きく違うところがあります。
それは江戸川の起点。今はもっと北にあるのに当時は少し南から横に出ていました。
そして赤で示したのが県境です。江戸川に沿って千葉県と茨城県が分かれています。元々江戸川は江戸時代からあったもので、それが廃藩置県によって県となった際に江戸川を境に分けたものと思われます。
もう察しの良い人はわかったのではないでしょうか。
明治後期~昭和前期で起点が北に移された
明治43年頃の水害により、この辺りの治水工事がされることになりました。それに伴って江戸川の起点が北に修正され、川の位置が変更となっています。
この時県境も変えれば違和感がなくなったのですが、県境はそのままに川の位置だけ変えてしまった結果、千葉県の先っぽが茨城県という不思議な状況となってしまったようです。
今は公園と草原になっているこの地点ですが、昔は川だったんですね。
何故千葉県の先っぽだけが茨城県になったかという謎は、元々陸続きだったのに川の位置だけ変えてしまった結果、元の五霞村は川で分断され、隔ててた川が無くなって千葉県とは陸続きとなってしまったからという結果でした。
あーすっきりした。過去の地図って面白いですね。
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