稚内から天北線の廃線跡を巡って音威子府へ-新千歳と稚内を車で往復旅:2日目

2023年の旅行記
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おはようございます。今日は稚内からスタートする2日目です。今日は昨日のように新千歳空港まで!みたいな過酷な行程じゃなく、比較的景色を見たりできればなと思っています。

本日の行程は稚内から天北線の廃線跡を見つつ、名寄の先にある塩狩ヒュッテという旅館まで行くというルート。天北線経由なので時間はかかりそうではありますが、距離感としては昨日の半分くらいかな?という想定です。

せっかくのオロロンラインは悪天候だけど、旅館の夕食を満喫-新千歳と稚内を車で往復旅:1日目
だれですか、新千歳空港から稚内に行こうなんて考えた人は。
  1. 旅館山一の朝食はボリュームたっぷり
  2. ノシャップ岬とノシャップ公園へ
    1. 子どもは居ないけど鹿はたくさんいるノシャップ公園
  3. 国鉄天北線の跡を巡って
    1. 宗谷本線との分岐点「南稚内駅」へ
    2. 稚内に出来たローソンを見てモダ石油で給油
    3. なにも残っていない「宇遠内駅」と「声問駅」
    4. 記念碑と駅名標(再建?)が残る「恵北駅」
    5. 看板が設置されている「樺岡駅」
    6. 過去の写真と貴重な資料が残る「沼川駅」
    7. 鉄路もバスも消えた「曲淵駅」
    8. 猿払村に入って最初の「小石駅」
    9. 立派な村役場とさるふつアイス
    10. 当時の品が展示されている「鬼志別駅」
    11. さるふつ丸ごと館でほたて丼を堪能
    12. 道路になって何もない「芦野駅」「猿払駅」
    13. ご丁寧に案内看板のある「浅茅野駅」
    14. 飛行場が無いのに「飛行場前駅」
    15. 休憩所や通信中継機室が残る「安別駅」
    16. 車で行くのは困難な「山軽駅」
    17. 駅の痕跡が何もない「浜頓別駅」
    18. トイレが設置されていたけど、遺構は何も残っていない「常盤駅」
    19. ホーム跡が残る「下頓別駅」
    20. 夏場は行くのが困難な「新弥生駅」
    21. 完全に人の家になっている「寿駅」
    22. キハ22形が展示されている「中頓別駅」
    23. 何もない「上駒駅」
    24. 立入禁止&撮影禁止という物々しい「松音知駅」
    25. 草しかない「周磨駅」
    26. 道の駅の隣にある「敏音知駅」
    27. 草原となっている「恵野駅」と何もない「上頓別駅」
    28. 文化財の旅館跡が近くにある「小頓別駅」
    29. 国道から入ったところにひっそりホームが残る「上音威子府駅」
    30. 宗谷本線の駅として残る音威子府駅
  4. 塩狩駅の隣にある「塩狩ヒュッテ」に宿泊
    1. 2段ベッドで好きな位置で寝られるお部屋
    2. 野菜ソムリエのオーナーが作る野菜メインの夕食
  5. 宿の近くにある宗谷本線の塩狩駅
  6. 明日はどうしよう……?そうだ、美瑛に行こう

旅館山一の朝食はボリュームたっぷり

昨晩は疲れて早々に寝てしまい、朝6時半に起きてブログの執筆作業(何をしに旅行に来ているんだ)をしてからの朝食。鮭の塩焼きにハムエッグ、明太子や焼売などボリュームたっぷりなラインナップが並びます。お味噌汁には海藻が入っているのが海の近くらしい。

正直ごはんのおかずが多すぎるんですが、昨晩も食べ過ぎてしまったのでここはセーブ気味に……1杯半くらいで済ませておきました。ごちそうさまです。

それではそろそろ出発しましょう。あんまりのんびりして後で焦っても良くないからね。

ノシャップ岬とノシャップ公園へ

稚内というと有名なのが宗谷岬ですが、市街地から近いノシャップ岬も利尻富士が見られるということで結構有名なスポット。近いし行ってみることにしました。

イルカのオブジェが特徴的なノシャップ岬。思ったよりも雲が多めなので、あんまり遠くの景色を楽しむのは厳しそうです。

晴れ渡っていれば左手に利尻富士が見られるはずなのですが、今日は雲に隠れて良く見えません。こんな状況なので宗谷岬はスルーしましょう。

子どもは居ないけど鹿はたくさんいるノシャップ公園

続いてやってきたのは、ノシャップ岬からほど近くにあるノシャップ公園です。ここでは子供たちが元気に……いるわけでもなく、居るのは鹿ばっかり。

遊具の下でゆったりしてみたり
芝生の草をむしゃむしゃ食べてみたり

立派なツノの生えたオス鹿からメス鹿までたくさん。人間慣れしているのか、近づいてもあんまり逃げる気配もありません。とはいえ野生なので餌をあげたりむやみやたらに触れたりするのは控えましょう。

しかし入口に注意書きがあるのですが、きっとボールを投げて当たるのは人ではなく鹿だし、犬のフンは落ちてなくても鹿のフンがめちゃくちゃ落ちてるんですが……。

国鉄天北線の跡を巡って

今日の大きな目的が1989年に廃止となった国鉄天北線の廃線跡を巡ること。生まれたときにはなかった路線ですが、どれだけ残っているのでしょうか……?

宗谷本線との分岐点「南稚内駅」へ

まずやってきたのは、宗谷本線の駅として現役の南稚内駅。ここから当時は天北線が分岐していたんですよね。

稚内駅に比べて懐かしの雰囲気を残す南稚内駅。宗谷本線自体の存廃が心配ですが、いつまで残ってくれるのでしょうか……?

稚内に出来たローソンを見てモダ石油で給油

道中に見つけたローソン。このローソンは稚内に最近出来たローソンで、セイコーマートしかなかった稚内に挑戦しに来たお店です。

裏手には大きな倉庫もあり、一般的なローソンとは違う雰囲気を持っています。やっぱり遠いこともあるので備蓄しておくということなのでしょうね。

入口にはこんな張り紙が。セイコーマートは袋無料なので、コンビニ=袋無料という印象が多い稚内民に対しての注意書きのようです。

ローソンを見たらモダ石油で給油。以前から使用していたため得カードが使えなくなって「MODACLUB」という新しいカードに切り替えてきました。給油後の5円引きも変わらずで、173.8円/Lで給油。それにしても高くなったなぁ。

なにも残っていない「宇遠内駅」と「声問駅」

天北線の廃駅ということでやってきたのは宇遠内駅なのですが、すでに家ができていて痕跡は全くありません。次へ行きましょう。

続けては海沿いにあった声問駅跡。こちらも空き地となっていて何も痕跡は残っていませんでした。

記念碑と駅名標(再建?)が残る「恵北駅」

次の駅は恵北駅です。稚内空港の手前を曲がってしばらく進んだ先にあるのですが、遺構は無いものの記念碑が作られていました。

記念碑が作られたのは平成15年ということで比較的最近のようです。こうして記憶を残してくれるのは嬉しいですね。

そして駅名標が設置されていました。当時のものとしてはきれいすぎるという感じなので、おそらくレプリカを制作したものと思われます。

看板が設置されている「樺岡駅」

樺岡駅。ここには新たに設置された駅名標が設置されていました。そして奥に進むと……?

裏手には廃線跡とみられる砂利道が左右に広がっています。オフロードバイクとかならこういう道を走ってみても楽しそうです。

樺岡駅の少し先に道路と交差する場所があります。路面を見てみると錆びがあったりするので、アスファルトの下には線路が残っているのかもしれません。

過去の写真と貴重な資料が残る「沼川駅」

沼川駅跡。ここには駅名標の他、当時の写真を残した看板が設置されています。線路は看板の裏手にあったようですが、今の時期ではやぶになっていて見に行くことは厳しそう。

昔の写真を見ると「国鉄民営化反対!」と書かれた看板も見えます。実際にもし民営化されてなかったらどうなっていたのでしょう。もしもボックスとかで試してみたいですよね。

そして向かいにある家には沼川駅の看板や列車のサボなどが展示されていました。外から見えやすいような場所に置いてあるのは嬉しいですね。

鉄路もバスも消えた「曲淵駅」

曲淵駅です。ここはバス停の跡地があるだけで特に遺構は認められません。

反対側にあるのもバス停跡。古さを見るに天北線の廃止後に作られたものと思われますが、既にバスも廃止されて公共交通機関はこの場所から消え去っています。

「ふれあい公園」と名付けられたこの場所ですが、もう人が集うことも無いような場所に。ふれあえるものがなくなった、そんな悲しい公園です。

猿払村に入って最初の「小石駅」

曲淵駅を過ぎると峠に入り、稚内市から猿払村へと入ります。そんな関係で駅間も17km以上離れていて、当時は日本最長距離だったとか。

小石駅です。駅跡は交流センターとして使用されており、当時の痕跡を残すものは残っていませんでした。

石碑には年表として天北線の記載はありましたが、天北線自体の石碑ではないようです。

そして帰る前にトイレでも行けるかなと思ってみてみると、建物の中に小石駅という看板を発見。唯一の遺構かもしれません。

立派な村役場とさるふつアイス

猿払村はホタテで潤っている村なのですが、その証拠に村役場はこんな立派。村とは思えません。

近くのお店でさるふつアイスを購入。濃厚で美味しいアイスクリームでした。

当時の品が展示されている「鬼志別駅」

鬼志別駅跡。当時の駅舎は無くなりバスターミナルとなっていますが、ここには天北線の展示がされています。

各駅から撤去したと思われる駅名標がいくつか保管されています。駅によって文字サイズが異なってたりするのが面白いですね。

飛行場の無いのに飛行場という名前となっている飛行場前の駅名標も。後程益を見に行きたいと思います。

鬼志別駅の時刻表や運賃表。末期は1日6本の運行だったようです。

きっぷや企画乗車券など。名寄本線とのコラボきっぷもありますが、名寄本線と天北線って同じ日に廃止されたんですよね。

小さいながらも無料で入れる展示なので、ホタテを食べに来るついでにも寄り道してみては。

さるふつ丸ごと館でほたて丼を堪能

お昼の時間も過ぎたので昼食です。ここ猿払村はホタテで色々な建物が建っているほどのホタテが一大産業という村なので、食べるのはもちろんホタテ。ということで道の駅さるふつ公園の中にある「さるふつまるごと館」にやってきました。

色々あるけどやっぱりほたて丼が気になります。初の猿払産のホタテは楽しみ。

1,760円と安くはない値段ではありますが、来た丼を見てびっくり。ホタテがぎっしり詰め込まれたどんぶりで、これで1,760円なら逆に安さまで感じます。付け合わせにはホタテのヒモときんぴらごぼう、それに海藻のみそ汁も付いてきます。

ホタテ丼をアップで。綺麗なホタテがご飯が見えないほど敷き詰められています。中央にはカットしてないまるごとホタテも鎮座。何枚使っているのか聞いてみたら5枚も使っているらしい。

しかし猿払村のホタテはやっぱり大きいですね。こんな肉厚なホタテを食べるなんて贅沢などんぶり。ちょっと高いとか言ってないで来たら食べましょう。届いた時点で高いなんて気持ちはすっ飛びます。

道路になって何もない「芦野駅」「猿払駅」

この辺りが芦野駅だったようですが、道路に転用されてしまっているので跡形もありません。

ここが猿払駅跡。村の名前にもなっている駅名なのに、跡地には何も残っていません。

とはいえ反対側にはバス停と待合所があり、「猿払停車場線」の起点というのが駅がこの地にあったことを示しています。

ご丁寧に案内看板のある「浅茅野駅」

浅茅野駅は道路に「←浅茅野駅」と案内看板が設置されています。進んでみましょう。

矢印の方に進むとさらに矢印。めちゃくちゃ丁寧に案内してくれます。

矢印の方向を見ると駅のホームが残っています。

駅名標は新たに作成したレプリカのようですが、JR北海道と記載があるのが面白い。廃止されたのは国鉄民営化から2年後ということなので、一応JR後まで残っていたんですよね。

ちなみに廃止された線路跡はサイクリングロードとして利用されています。誰も走ってないけど……。

飛行場が無いのに「飛行場前駅」

飛行場前駅。藪に埋もれてしまっていてよくわかりませんが、駅名標の跡が見えますね。

ホームの跡が残されていますが、劣化が激しいので乗ったら崩れそうです。

休憩所や通信中継機室が残る「安別駅」

安別駅。ここはホームだったり駅名標の跡は残っていません。

じゃあ何もないのかというとそういうことも無く、通信中継機室?やお手洗いが休憩所として残されています。

車で行くのは困難な「山軽駅」

国道から離れた場所にあり、現役時代から誰も使ってなかった山軽駅。行ってみようと砂利道を進んで行ったのですが、最後の200mがこんな状況でした。歩いて行こうにも雨でぬかるんでいる状況なので断念。違う季節に再訪できればなと思います。

居たのはシカ

駅前はサイクリングロードになっているので、こっちから長々と歩けば行けそうです。でもヒグマ出たこともあるようなので、あんまり長く歩きたくない……。

駅の痕跡が何もない「浜頓別駅」

浜頓別駅跡。今は図書館として利用されており、痕跡は残っていませんでした。

反対側には道の駅があるのですが、当時の写真などの記録は無し。

トイレが設置されていたけど、遺構は何も残っていない「常盤駅」

常盤駅。駅跡に公衆トイレが設置されていましたが、当時の遺構は何も残されていませんでした。

ホーム跡が残る「下頓別駅」

下頓別駅。ここはホームが綺麗な形で残っている他、駅名標も設置されていました。

錆び着いた駅名標ですが、これは当時のものなのでしょうか。でもそれにしてはきれいすぎるかもしれないからやっぱりレプリカかなぁ。

駅跡の前には新しい道が作られていました。ホームに植えられた花がなんとも寂しい雰囲気を醸し出しています。

夏場は行くのが困難な「新弥生駅」

新弥生駅。この先に遺構があるようなのですが、今の時期に突き進んで行くのはハードルが高い。秋以降に来れば駅跡を見に行くこともできそうですね。

完全に人の家になっている「寿駅」

寿駅。駅の跡は私有地となり、完全に人の家になっていました。

キハ22形が展示されている「中頓別駅」

天北線メモリアルパークとして整備されている中頓別駅跡です。

駅があった場所にはバスターミナルが建てられており、当時の駅の遺構などは残っていないようです。

バスターミナルの横にはキハ22形が静的保管されています。しかし風化により塗装ハゲが目立つようになっており、何とも痛々しい姿になってしまっています。

バスターミナルの2階には、天北線の資料が展示されています。

中頓別駅の看板や、天北線廃止時のきっぷなど。でもメモリアルパークだけど線路の跡とかは残ってないのが残念でした。

そして駅跡の前は「中頓別駅前線」という名前。もう駅がなくなって30年以上たっても名前を残し続けています。

何もない「上駒駅」

上駒駅。ここら辺がそうだったらしい。

立入禁止&撮影禁止という物々しい「松音知駅」

天北線の廃線跡で唯一駅舎やレールも残っているのが松音知駅。しかし立入禁止はまあわかるにしても、撮影禁止という物々しい張り紙が駅舎にペタペタ貼り付けられています。とはいえ探せばいくらでも写真は出てくるし、ストリートビューで見られるから気になる人は探してみてください。

航空写真を見るとこの周囲だけ線路もすべて残されています。せっかく残っているのになんか勿体ないなと感じます。

草しかない「周磨駅」

周磨駅……らしい。草しか見えません。

道の駅の隣にある「敏音知駅」

敏音知駅。ここにはホーム跡と石碑が残されていますが、どうも後から作ったような感じがします。

おそらく線路は当時のものかもしれません。しかしこれ「ピンネシリ」なんて初見で読めませんよ。

草原となっている「恵野駅」と何もない「上頓別駅」

恵野駅。草原しかありませんでした。

上頓別駅。近くにバスの待合室がありますが、本来の駅跡はこちらでした。駅の痕跡らしきものは何も残っていません。

文化財の旅館跡が近くにある「小頓別駅」

小頓別駅。駅跡にはバスの待合所がありましたが、駅としての遺構は……?

ターミナルの壁に駅の看板が設置されていました。これしか当時のものは残って無さそうです。

駅前には「丹波屋」という文化財登録された旅館跡があります。この宿も長年運営されていたようですが、天北線の廃線と共に廃業となってしまったようです。内部の公開はされていないようですが、外観だけでも趣のある建物です。

国道から入ったところにひっそりホームが残る「上音威子府駅」

上音威子府駅。天北線が音威子府駅から分岐して初めての駅です。立派なホーム跡が残されていました。

枠は錆び着いているので当時のものかもしれませんが、駅名標はおそらく後から設置したものと思われます。「かみ」が小さいのが面白いですね。

元々貨物が多かったという上音威子府駅。そんな過去があったこともあって駅の敷地は広々としていました。今となっては何もない空き地になっているのが悲しい。

線路が続いていたはずの先は森になってしまっています。出来ることなら乗ってみたかった。

宗谷本線の駅として残る音威子府駅

上音威子府駅から音威子府駅に到着して天北線の廃線跡巡りも終了。正直想像以上に痕跡がなくなってしまっているなという印象で、北海道の他の路線と比べても遺構が少ないように感じました。

さて、音威子府駅からは本日の宿のある和寒まで一気に下ります。想像以上に遠かった……。

塩狩駅の隣にある「塩狩ヒュッテ」に宿泊

本日の宿は旭川からちょっと上、和寒町の塩狩峠にある「塩狩ヒュッテ」というユースホステルです。静かな雰囲気が良さそうだなと思って宿泊先に決めました。

2段ベッドで好きな位置で寝られるお部屋

お部屋はこんな感じ。部屋によっても異なるようですが、今回は2段ベッドの部屋でした。兄弟とか居ないのでこういうベッドって新鮮ですね。上段は窓から外を眺めながら、下段は静かに眠ることができます。

部屋にはエアコンの設置もある他、空気清浄機なども設置。こういうユースホステルにしては部屋もきれいだし、設備も整っていて過ごしやすい空間に感じました。なおトイレやバス、冷蔵庫は共用設備となっています。

共用設備のバスはこんな感じ。一般的な家庭のお風呂という感じでしたが、お湯がすぐに出てきてくれたのは嬉しかった。冬場とかは早く出ないと凍えちゃいますからね。

野菜ソムリエのオーナーが作る野菜メインの夕食

ここのオーナーは野菜ソムリエの資格を持っており、夕食で出される料理も野菜がメインのカラフルな見た目。とっても美味しそうです。

丸いプレートにはステーキに茄子、オクラやトマトを乗せた豆腐、サラダととうきび。オーブンで焼いたと思われるプレートには、ベーコンの他にパプリカやズッキーニが乗っていました。どれも味が濃すぎるとかも無くて野菜の美味しさもたっぷり感じられます。

そしてご飯は北海道産のゆめぴりか。ごはんだけでも1杯食べられちゃうので食べ過ぎには注意です。ごちそうさまでした。

宿の近くにある宗谷本線の塩狩駅

ここ塩狩峠はノンフィクション小説「塩狩峠」の舞台にもなった場所。明治42年に連結が外れて暴走した客車を止めるために当時鉄道員だった長野政雄さんが自らの体を犠牲にして止めたという悲しい事故があった場所でした。

そんな舞台にもなった塩狩駅。利用客が実質的に塩狩ヒュッテに来るお客さんくらいしかいない現状なこともあり、2021年から和寒町の負担による維持管理へと変わっています。

駅の維持費は年間200万円以上。以前は塩狩温泉に来る旅客で賑わったこともあるようですが、今となっては1日1名が使うか否かという状況です。現在はふるさと納税などでも維持費を確保しているようなので、気になる人は和寒町のホームページから各サイトに行ってみてください。

……っとやってきたのは旭川行きの普通列車。旭川からも近いし、次回は鉄路で来て見たいですね。

駅を探索して宿へ帰還。来た時よりも暗くなり星空も楽しめました。

明日はどうしよう……?そうだ、美瑛に行こう

元々今回の旅行は天北線と深名線を見ていこうかなと考えていたのですが、天北線を巡る時点で長い時間を要したこともあり、飛行機の時間を考慮すると厳しそう。そう思ったときに以前から美瑛に行きたいなと考えていたことを思い出し、どうせ帰り道ということで美瑛に行くことにしました。

時間があればその先で夕張を経由していきたいと思いますが、おそらく美瑛観光を済ませたらそのまま新千歳空港に直行になるんじゃないかなぁと思っています。以前見た冬の美瑛に今回は夏の美瑛。天気も良いので楽しみです。

夏の美瑛で絶景と温泉を楽しんできた-新千歳と稚内を車で往復旅:3日目
冬とはまだ違った美瑛を楽しめました。

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